芥川龍之介とは?激動の生涯と死因や名言、作品を解説

芥川龍之介は日本を代表する作家です。若い頃からその才能を認められますが、才能故に悩む事も多く、35歳の若さでこの世を去っています。今回は芥川龍之介の激動の生涯、その死因や名言、作品について解説していきます。

芥川龍之介の生い立ち


(1919年(大正8年)長崎滞在中の写真。 出典 Wikipedia)

芥川龍之介は明治25年(1892)3月1日に東京市京橋区入船町で、牛乳搾取販売業耕牧舎を営む新原敏三・ふくの長男として生まれます。姉が2人いましたが、長女ハツが風邪で6歳の若さで亡くなります。龍之介が産まれる前の事でした。

また父は42歳、母は33歳という大厄の年だった為に、龍之介は旧来の迷信に従って形式上の”捨て子”にされます。あくまで形式上ですが。
長女が亡くなった事がきっかけだったようで、龍之介が産まれて7ヵ月頃に母ふくは精神に異常をきたします。その為龍之介は母方の実家の芥川家に預けられます。

芥川家は道章という兄が継いでいましたが、夫婦間には子どもがおらず、龍之介を芥川家の養子として迎え入れます。

このように龍之介を取り巻く環境は少し複雑だったのです。

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芥川龍之介の生涯・年表


(芥川龍之介の肖像 出典 Wikipedia)

年表

1892年 誕生 母が病気になり、芥川家で養育する
1902年 母親のふくが亡くなる
1904年 芥川家に正式に養子になる
1914年 大学で新思潮を発表
1917年 海軍機関学校の嘱託教官に赴任
1918年 大阪毎日新聞社に入社する
1919年 結婚
1921年 海外視察員として中国へ派遣される
1926年 胃潰瘍や神経衰弱などの症状が出る
1927年 睡眠薬を飲んで自殺。享年35歳

叔母ふきの愛情

芥川家の道章夫婦は龍之介の事をとても大事に育てます。芥川家は代々御奥坊主をつとめた家柄であり、家族全員が文学や美術を好んでいたようです。龍之介も幼い頃から文学に触れる機会は多かったのです。

しかしそれ以上に愛情を注いだのは、叔母であるふきでした。ふきは幼少期に目を不自由にし、子どもがいなかった事もあり、特に龍之介を大切にしていたようです。生涯独身でした。幼い龍之介に抱き寝をしたり、牛乳を飲ませるなどして育てていました。

惜しみない愛情と、文学に触れる環境と。一見すると何不自由ない生活を送れていましたが、幼き頃の捨て子へと不信感や、芥川家に預けられた事への鬱屈した気持ちは残っていたようです。

芥川家の養子に

高等小学校に進級すると、同級生と回覧雑誌「日の出界」を始めます。龍之介は学校の授業では、特に英語と漢文に抜群の力を示しました。

明治35年、生母のふくが亡くなります。実家では龍之介を再び育てようとしますが、結局は明治37年に正式に芥川家の養子になります。父親の敬三が妻ふくの妹と子どもを作ってしまい、新原家と芥川家の仲が悪くなった事が原因でした。

龍之介は急に自身を引き取ろうとしたが、他所で子どもを作った父のエゴイズムに思うところがありつつ、精神障害のある母親の遺伝子を受け継いでいる事に対して生涯怯える事になります。彼の性格が形作られていきました。

その後は府立第三中学校(現都立両国高等学校)、第一高等学校(現東京大学)を卒業後、東京帝国大学に入学と、優秀な成績を収めつつ、様々な文学を読み漁ります。

作家デビュー

大学では、菊池博や久米正雄らと第三次「新思潮」の同人として加わり、翻訳「バルタサアル」や小説「老年」などを発表します。小説家芥川龍之介の誕生です。

1915年には 羅生門 を発表。当時は人気がありませんでした。翌年には 鼻 を発表し、夏目漱石から絶賛されます。

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卒業後は、横須賀海軍機関学校で英語教師として勤めつつ、執筆活動を行い、蜘蛛の糸を完成。

1918年には教員を辞して、大阪毎日新聞社に入社。記事ではなく連載用の小説を書くことを求められ、会社に行かなくてもよいという条件をつけてもらいます。この時期に地獄変等を完成させます。

1919年塚本文と結婚。3人の子どもに恵まれます。その頃には日本を代表する作家となっており、順風満帆なようにみえました。1920年には長男も誕生しています。

病気の発症

結婚後、文との生活に少しずつギャップを感じていた龍之介は歌人の秀ひでしげ子と出会います。互いに結婚はしていましたが、しげ子の知性に龍之介は惹かれ、一度だけ関係を持ってしまいます。

その後、しげ子が自分の弟子である南部修太郎とも関係を持っていたとを知るや否や、急速に気持ちが冷めていきます。

1921年海外視察員として中国へ派遣される事を理由に龍之介は別れを切り出します。しかし帰宅後から心身が衰え始めます。

1925年には三男が生まれますが、この頃には胃潰瘍や睡眠障害等の症状がみられます。

徐々に追い詰められていく龍之介ですが、決定打になる出来事が起こります。1927年1月に姉の夫が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられて鉄道自殺します。死後に放火の疑いは晴れますが、龍之介は姉の家族を養う事を余儀なくされます。

この頃には人間社会を痛烈に批判した『河童』や自身の症状を小説にしたような『歯車』などを執筆しています。精神面にも影響が出ていたようです。

芥川龍之介の最期と死因


(斎藤茂吉 肖像 出典 Wikipedia)

7月24日未明、『続西方の人』を書き上げたあと、歌人でもあり、精神科医でもあった斎藤茂吉からもらっていた致死量の睡眠薬を飲んで自殺します。死の際には妻や親友の菊池寛に遺書を書いています。

本人がドッペルゲンガーを見たことを作家同士の対談で話しており、統合失調症の症状も直前には見られていたようです。

自殺の動機ととして知人に宛てた手紙の中に「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と言うフレーズがあり自殺の理由と言われてはいます。

晩年の作品でもあり、自叙伝でもある歯車では

・死にたがっているよりも生きることに飽きているのです。
・誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか。
と明確に死にたいと言う思いが綴られています。

精神面、金銭面でも追い詰められていた龍之介にとっては「生きる為に生きている」事に耐え難い恐怖を感じたのではないでしょうか。

芥川龍之介のエピソード


(1948年頃の太宰治 出典 Wikipedia)

恋多き龍之介

年表で説明したのは 妻の塚本文と歌人の秀ひで子ですが、龍之介はイケメンでよくモテました。

吉田弥生という女性は、龍之介の初恋の人で幼馴染であり仲も良かったのです。意識しだしたのは大学の頃で、青山女学院に弥生は通っており、龍之介と学歴の釣り合いもとれていました。

そんな中、弥生に縁談の話が舞い込み、龍之介は取られたくないとプロポーズをしようと考えますが、芥川家が猛反発します。

吉田弥生が新原家(龍之介の実家)と親しい間柄であり、芥川家はそれを良く思いませんでした。また名門の芥川家には吉田家は釣り合わないと言う思いもありました。 この時の家族のエゴへの不信感は羅生門等、後の作風に影響します。

この他にも教員時代に親しくなった佐野花子や、翻訳家の片岡広子(心中計画あり)等、多くの女性と親しくなっており、よくモテたようですね。

太宰治からのリスペクト

龍之介は多くの小説家に尊敬されますが、太宰治もその一人です。龍之介の事を尊敬しすぎるあまり、芥川龍之介と書き続けたノートが見つかっています。また龍之介と同じポーズで撮られた写真も残っています。彼も後に自殺しますが、龍之介の影響ですね。

芥川龍之介の名言


(1927年頃の芥川龍之介 出典 Wikipedia)

文豪である彼は数々の名言を残しています。今回はほんの少しだけ紹介します。

幸福とは幸福を問題にしない時をいう。
本当に幸せな時は、その事を考える事もなく、何かに没頭している時です。この名言を言った龍之介にとってはその時 は幸福ではなかったのでしょう。

人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わねば危険である。
人生をマッチに見立てています。マッチ如きと思いつつも、火災の原因にもなる危険なものです。人生=良くも悪くも重大に扱うべきものだと説いていますね。

シェクスピイアも、ゲエテも、李太白も、近松門左衛門も滅びるであろう。
しかし芸術は民衆の中に必ず種子を残している。

名を馳せた芸術家もはいつか必ず死ぬ。しかし芸術そのものは民衆の中に存在し、また何処かで新たな芸術の種を蒔きます。
龍之介が死んだ後もその影響を受けて新たな芸術家になった人がいるでしょうね。

芥川龍之介にゆかりのある地

慈眼寺

龍之介のお墓は慈眼寺にあります。細い道と一方通行が多くて車での訪問は難しい為、巣鴨駅から歩いていくのが良いでしょう。
墓石は本人の遺言により愛用の座布団の同じ形と寸法で作られています。

田端文士村


(東京都北区 飛鳥山公園 出典 Wikipedia)

龍之介は大正3年から昭和2年まで、北区の田端に住みます(教員の頃は出払っています)。この辺一帯は岡倉剣心や、菊池寛等、当時を代表する文化人が住んでおり、この辺一帯を田端文士村と呼びます。

ここには芥川龍之介の旧家の跡地があり、当時の面影はありませんが、跡地を伝える看板があります。

また東京都北区はその芥川旧家の一部を買い取り、「芥川龍之介記念館」(仮称)を2023年に開館する計画を2018年6月に発表しています。

芥川龍之介の子孫

龍之介には文との間に3人の子どもが出来ました。

長男 芥川比呂志(1920~1981)


(芥川比呂志 出典 Wikipedia)

ラジオドラマ・ナレーション・映画・テレビなどにも数多く出演。1966年の大河ドラマ源義経では頼朝という重要な役を演じています。1963年には現在演劇協会を設立。演劇教育にも携わっています。

私生活では、龍之介の姉と自殺した夫との子である芥川瑠璃子(1916年〜2007年)と結婚し3人の娘を設けます。

次男芥川多加志(1922〜1945年)

3人の中では最も文学的な才能を引き継いだと言われていますが、残念ながら第二次世界大戦にてビルマで戦死します。

三男芥川也寸志(1925-1989)


(芥川也寸志 出典 Wikipedia)

2歳の頃に龍之介は自殺し、記憶はありません。作曲家として社会的リアリズムの影響を受けた作品を意欲的に発表します。戦後の管弦楽・創作オペラの第一線で活躍し、日本作曲家協議会長、日本音楽著作権協会長を務めています。

八甲田山八つ墓村等、ヒットを飛ばした作品の作曲もしていますね。1977年〜1984年まで黒柳徹子と音楽の広場にて司会をしています。

私生活では3度の結婚をしており、3人の子どもがいます。次女は特に情報はありませんでした。

芥川耿子(1945年~) 比呂志の三女

は詩や童話、随筆を発表しています。ワイドショーの司会やCMソングの作詞等、マルチに活動しています。一男一女をもうけています。

長女芥川麻実子(1948年〜) 也寸志の長女

20代の頃、「ハイ!土曜日です」「アフタヌーショー」など多くの情報番組に出演。33歳にて芸能界を引退した後は日本全国の高速道路を制覇し、道マニアになります。その知識を買われ、当時の道路公団や建設省から道路のアドバイザーに任命されます。現在は道の駅は八王子滝山で駅長をしているそうです。

長男芥川貴之志(1972年〜) 也寸志の長男

グラフィックデザイナーとして活躍しています。またナイキのスニーカーのコレクターとしても有名です。現在は結婚して2人の息子がいるようです。龍之介から数えてひ孫になりますね。

芥川龍之介の子どもたちへの思い

ある阿呆の一生では
「何の為にこいつも生まれて来たのだろう? この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。――何の為に又こいつも己のようなものを父にする運命を荷ったのだろう?」と息子たちへ向けた言葉が書かれています。

ただ愛情がなかったのではなく、遺書には汝等の父は汝等を愛すと書かれています。晩年のフィルム映像では、息子たちと笑顔を見せる芥川の姿が記録されています。

現世に生まれてきた苦しみへの同情と、子どもへの愛情は別と言う事でしょうか。

芥川龍之介の代表作品

龍之介の作品は時期によって内容や志向が大きく異なると言われています。代表作についてまとめていきます。

初期


(今昔物語 鈴鹿本(鎌倉中期写本) 出典 Wikipedia)

大学の頃に漢文を習っており、説話文学を土台にした作品が多いです。

鼻 1915年
「人の幸福を妬み、不幸を笑う」事をテーマにした作品。夏目漱石に絶賛されます。

羅生門 1916年
教科書の題材にもなっている、エゴイズムを主題にした作品。平安時代の羅生門を舞台に下人と老婆のやりとりを小説にしたもの。

芋粥 1916年
芋粥を腹一杯食べたかった男の夢が叶った話。上2つを含め、これらは今昔物語が元ネタです。原作とは全くラストが異なります。

中期

芸術至上主義(作品に対して社会に向けたメッセージを込めたりせず、芸術行為の目的が純粋に芸術のためだけに行われるという考え)が色濃く出ている時期です。長編小説にも取り組んでいたようです。

蜘蛛の糸 1918年
龍之介初めての児童文学。地獄に落ちたガンダタの話。誰もが知ってる有名な話ですね。

地獄変 1918年
主人公である良秀の「芸術の完成のためにはいかなる犠牲も厭わない」姿勢を描いた作品。中期の代表作です。

密柑 1919年
小説ではなくエッセイに近い作品です。舞台は横浜駅で、私(芥川龍之介)が密柑を持った少女をみた話です。

魔術 1919年
我欲を捨てる事を条件に魔術を習得しようとする主人公。最後の最後にエゴを捨てきれなかった男の話です。

藪の中 1921年
「藪の中で見つかった男の刺殺体」についての証言が皆異なっている。犯人は物語の中では断定出来ず、真相は藪の中です。後に羅生門が映画化されますが、内容はこちらをベースにしています。

トロッコ 1922年
幼少期にトロッコに乗った男が、大人になり、その時の体験が現在に重なる物語です。

桃太郎 1924年
桃太郎をモチーフにした作品ですが、平和な鬼ヶ島に住む鬼の話です。正義の反対は悪なのかどうかをテーマにした作品です。

後期

精神的に追い詰められていた時期であり、自分のこれまでの人生を見直したり、生死を取り上げたりした作品が多く見られます。

河童 1927年
Kappaの世界を通じて、当時の人間社会を痛烈に批判した作品です。何となく、中期と異なり狂気も含まれた世界観です。

歯車 1927年
歯車が幻覚として現れる男の話であり、遺構や晩年の彼の精神状態を克明に表しています。

筆者のおすすめ

ちなみに筆者のオススメは あばばばば 、タバコと悪魔です。

あばばばば
はからかっていた喫茶店の女店員が子どもが生まれて変わってしまう龍之介には珍しいモダンな話。

タバコと悪魔
安土桃山時代に宣教師と共に来日した悪魔の話。龍之介の描く庶民的で人間に騙される悪魔も人間臭く魅力的です。悪魔とは恐らく実体ではなく、西洋文化の悪魔的な魅力であり、警鐘でしょう。

皆さんも芥川龍之介の小説に触れてみませんか。

参考文献

http://akitsumaika.web.fc2.com/ryunosukepeople.html
https://bungo-matome.com/akutagawaryunosuke-wise-saying
https://geinou.myblogs.jp/芥川麻実子/
http://www.tokyo-kurenaidan.com/akutagawa2.htm
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person879.html

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