金子みすゞとは何をした人物?生涯・詩集・死因・子孫も解説

皆さんは「私と小鳥と鈴と」という詩を聞いたことはありますか?この詩を書いたのは大正時代末期から昭和初期に活躍した、金子みすゞという童謡詩人です。

彼女は生涯に500編もの詩を残しましたが、26歳の若さで自殺。世間から忘れられた存在となりましたが、後に再評価されるようになり、学校の教科書にも選ばれるようになりました。今回は金子みすゞの生涯や人物像、作品について解説していきます。この記事を読めば、金子みすゞについてより詳しく知る事ができますよ。

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金子みすゞとは?

金子みすゞとは?

20歳ごろの金子みすゞ 出典:Wikipedia

 

金子みすゞは、1903年に山口県大津郡仙崎村(現:長門市)で誕生します。西條八十の童謡に感銘を受け、「自分も童謡を書いてみたい」と考えるようになり、童謡作家を志します。20歳になると西條八十が選者をしている雑誌「童謡」に応募し、「お魚」「打出の小づち」が選ばれ、『童話』9月号に掲載されました。

1926年に叔父が経営する上山文英堂の番頭格・宮本啓喜と結婚。娘を1人もうけました。しかしその夫は女癖の悪いDV夫であり、金子みすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じます。更に娘の親権も強硬に要求。その事に絶望した金子みすゞは、1930年3月10日に服毒自殺を遂げ、26歳の短い生涯を終えました。

彼女の詩は長らく忘れ去られていましたが、童謡詩人の矢崎節夫が1984年に『金子みすゞ全集』を刊行し、次第に再評価が高まる事となりました。

氏名金子テル
通称・あだ名金子みすゞ(かねこ みすず)
出生日1903年〈明治36年〉4月11日
出生地山口県大津郡仙崎村(現:長門市仙崎)
死没日1930年〈昭和5年〉3月10日)
死没地(亡くなった場所)山口県下関市西南部町
血液型不明
職業童謡詩人
身長不明
体重不明
配偶者宮本啓喜
座右の銘みんなちがって みんないい

 

金子みすゞの人生年表・生涯

出来事
1903年金子みすゞ誕生
1906年父・庄之助の死去に伴い仙崎に移住する
1915年群立大津高等女学校入学
1920年女学校卒業後、家業の書店を手伝う
1923年母のいる下関に移住し、この頃から作詩を開始
1926年宮本啓喜と結婚し、同年に長女誕生
1928年夫との関係性が悪化する
1930年服毒自殺(享年26歳)

 

幼少期の金子みすゞ

幼少期の金子みすゞ

山口県長門市 出典:Wikipedia

 

金子みすゞは、1903年4月11日に山口県大津郡仙崎村(現・長門市)で父・金子庄之助、母・ミチの長女として生まれます。金子みすゞの本名はテルと言いますが、この項目では金子みすゞで統一します。

庄之助は、ミチほ妹の嫁ぎ先の下関の書店「上山文英堂」の清国営口支店長を務めていました。当時は本は今よりもずっと貴重で、大切な情報源。今以上に書店の社会的地位は高いものがあったのです。

ところが金子みすゞが3歳の時に父は急性脳溢血で死去します。大黒柱を失った一家は、仙崎にて金子文英堂を営むようになりました。母・ミチは優しくもしっかりした働き者で、子供たちが店で本を読んでいても決して注意する事はなく、もっと本を読むように子供たちに勧めました。

そんな母の元で育ち、金子みすゞは本好きな少女として育ちました。この頃に金子みすゞは西條八十の童謡を読み、感銘を受けて童謡作家を目指すようになったとされています。

やがて金子みすゞは1916年3月、13歳で瀬戸崎尋常小学校を卒業し、4月に群立大津高等女学校に入し、学金子文英堂を手伝うようになりました。またこの期間に母親が上山文英堂書店の主人と再婚して、母親は下関に移住していますが、金子みすゞはそのまま女学校で勉強を続けました。金子文英堂は兄や祖母が引き継ぎ、金子みすゞも店番などを手伝っています。

やがて兄は結婚し、金子みすゞは1923年4月ごろに母親のいる下関の上山文英堂書店に移り住みました。なお、この頃に金子みすゞは、手づくりの小唄集『こはれたぴあの』を作りあげるなど、はやくも才能を発揮しています。

また5月には、ペンネームである「金子みすゞ」を名乗り始め、西條八十が選者をしている童謡雑誌「童話」に投稿も始めました。

結婚と詩の投稿

結婚と詩の投稿

金子みすゞが憧れた西條八十 出典:Wikipedia

 

金子みすゞの才能はすぐに認められ、「お魚」と「打出の小づち」は9月の童話に掲載されます。西條八十は金子みすゞの詩を「イギリスの詩人・クリスティ・ロゼッティと同じ」と絶賛。10ヶ月の間に23編が選ばれており、金子みすゞは多くの詩人や文学少年・少女の心を捉えていきました。

なお、1925年末になると金子みすゞはする上山文英堂の番頭格・宮本啓喜との結婚話が持ち上がり、1926年2月に2人は結婚。4月に下関市大字関後地村に転居し、11月には長女のふさえも誕生しました。

傍目には順風満帆にみえる結婚生活ですが、宮本啓喜は女癖が悪く、女性問題を起こした書店を追われてしまいます。1927年11月に食料玩具店を始めますが、自暴自棄になった宮本啓喜の放蕩は収まりませんでした。

1928年7月ごろから創作と童謡仲間に手紙を書く事を禁じられます。絶望した金子みすゞは、3冊の手書きの童謡集である『美しい町』『空のかあさま』『さみしい王女』を清書し、それぞれ西條八十や弟の正祐に託しています。

更に金子みすゞを絶望に陥れたのは、夫から梅毒を移された事でした。梅毒は当時は遊郭病と呼ばれており、夫が浮気相手から移されたものだったのです。金子みすゞは家族と何度か住居を移転していますが、徐々に病状も悪化していきました。

当時は梅毒で亡くなる女性も多かった 出典:Wikipedia

1930年2月に金子みすゞは宮本啓喜と正式に離婚。娘は手元で養育する事を望み、宮本啓喜も一度は同意しました。ところがすぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。遂には3月10日の日に「娘を連れて行く」と手紙を送ってきたのです。

離婚したとは言え、当時は元夫の意見に逆らえない時代。元夫が子供を引き取りにくれば、それを止める事はできません。追い詰められた金子みすゞは「とある決心」をするのでした。

金子みすゞの死因と最期

カルモチンを飲んでの服毒自殺

カルモチンを飲んでの服毒自殺

金子みすゞはカルモチンを飲んで自殺した 出典:Wikipedia

 

金子みすゞは3月10日に上山文英堂書店の2階で、カルモチンという毒物を飲んで服毒自殺をしました。

死の前日、金子みすゞは娘の為に写真を撮りに写真感に行き、その帰りに桜餅を買って帰宅します。ふさえと母、そして母の再婚相手の4人で桜餅を食べ、いつものように明るく振る舞っていました。家族団欒の時を過ごした夜に、遺書と前日撮った写真の預け証を枕元に置き、カルモチンを飲んだのです。

遺書は元夫である宮本啓喜と、母親である金子ミチに宛てた2つがありました。

夫に遺した遺書には「私は娘を心の豊かな子に育てたい。自分が母に育ててもらったように、娘を母に育てて欲しいのです」と、娘を渡したくないという心境が綴られていました。そして母に遺した遺書には「先立つ不幸の詫びの言葉と、あとに残す娘を託す」といった内容が書かれていたのです。

結果的にふさえは母・ミチのもとで養育される事になりました。宮本啓喜は金子みすゞの自殺と、親権を得る事ができなかった事が相当こたえたようで、7年後に再婚。後に子供にも恵まれる事となり、新たな家庭を築いています。

金子みすゞは僅か26歳でこの世を去り、彼女の名前は長らくの間忘れ去られてしまうのでした。

金子みすゞの性格と人物像エピソード

幼少期から成績優秀

幼少期から成績優秀

金子みすゞは成績優秀だった 出典:Wikipedia

 

小学校時代の金子みすゞは、首席を通すほど知的に優秀な生徒として有名でした。ただ近所の子どもたちと花摘みをしたり、ままごとをするなど、活発な少女でもありました。

女学校では卒業生総代も務めており、当時の担任は金子みすゞの事を心持豊かで、友達を愛する本当に優しく丁寧な生徒だったと評しています。噂話や悪口は好きではなく、本や自然の世界に気持ちが向きがちな傾向はあったものの、金子みすゞの事を悪くいう人はいなかったようです。

誰からも好かれる人だったからこそ、宮本啓喜というロクでもない男と結婚せざるを得なかった事は、彼女にとって最大の不幸だったと言えるでしょう。

海や魚から見える金子みすゞのルーツ

海や魚から見える金子みすゞのルーツ

仙崎は捕鯨が行われていた 出典:Wikipedia

 

金子みすゞの作品は全部で512編見つかっていますが、その中で海や魚を題材にした作品は実に130編に上ります。金子みすゞの出身地である山口県の仙崎村は、捕鯨で成り立っていた漁師の村でした。この地は鯨に対する畏敬の念が色濃く残されており、鯨墓というものも存在しています。また鯨の供養のため、鯨法会をする習わしもあり、金子みすゞはこうした地域の姿勢に感銘を受けていたとされます。

自然と共に生きること、全てのいのちを慈しむ思い、いのちなきものに対する優しい眼差し。こうした金子みすゞの作品は、仙崎村での生活が原点になっているのです。

金子みすゞがやったこと・功績

暖かくも鋭い詩を作詩する

暖かくも鋭い詩を作詩する

カントウタンポポ 出典:Wikipedia

 

金子みすゞは自分の耳にしたものや、目にしたものを優しく繊細な言葉に表現する才能に優れていました。例えば「星とたんぽぽ」という詩は以下の通りです。

> 青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

私達は散ってしまったたんぽぽに対し、特別気に留める事はありません。それでも金子みすゞは、たんぽぽが懸命に生きている様をとてもわかりやすく、そして優しく表現しています。普段は見過ごしてしまう小さな生き物や優しさ、そうした存在を金子みすゞは見落とす事はありませんでした。

こうした作品達を読み解いていくと、金子みすゞの文学的な才能と、優しい人柄が見えてくるのです。

死後に再評価が高まる

死後に再評価が高まる

金子みすゞの作品は教科書に掲載された 出典:Wikipedia

 

金子みすゞは若くに亡くなった事もあり、その存在は長きにわたり忘れ去られていました。彼女の再評価が高まるのは1980年代の事。彼女の詩集が刊行されると、その優れた詩はすぐに礼賛される事となり、1985年の東京大学の入試問題に「積もった雪」「大漁」が採用されました。

金子みすゞの再評価に伴い、代表作「わたしと小鳥とすずと」は教科書に採用されます。中田喜直や池辺晋一郎などの作曲家が金子みすゞの詩に曲をつける人も増えていきました。下関市では金子みすゞ記念館が開館され、小学校では金子みすゞ交流会が定期的に開催されるなど、金子みすゞの詩を凶悪に取り入れる機会も増えています。

これからも金子みすゞの詩は多くの人達を魅了していく事でしょう。

金子みすゞの詩集と代表作

金子みすゞの詩として確認されているものは現時点で512編。全ての詩があたたかい言葉と鋭い感性で物事を捉えています。この項目では金子みすゞの代表作について簡単に解説していきます。

私と小鳥と鈴と

私と小鳥と鈴と

小鳥は空を飛べるけど… 出典:Wikipedia

 

「私と小鳥と鈴と」は金子みすゞの代表作の一つです。空は飛べないが、地面を早く走る事ができる私。沢山の歌は知らないけれど、綺麗な音を鳴らす事の出来る鈴。人間を含めた地球上のすべてのものは出来ることと出来ない事がありますが、金子みすゞはそれを「個性」として肯定してくれているのです。この優しさに救われた人もいるのではないでしょうか。

この作品は教科書にも取り上げられており、2006年には「みんなのうた」でも放送されました。

> 私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

こだまでしょうか

こだまでしょうか

ACジャパンのロゴ 出典:Wikipedia

 

「こだまでしょうか」は、人と人との関わりが「こだま」として伝わっていく事を表現した作品です。2011年に東日本大震災が発生した時、ACのCMが繰り返し流されましたが、その中に「こだまでしょうか」を主題歌にしたCMも含まれていました。

震災で多くの人達が傷ついた状況下、人と人との繋がりはなによりも大切なもの。金子みすゞのこの詩は多くの人達の心を打ったのです。

> こだまでしょうか」

「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと「もう遊ばない」っていう。

そして、あとでさみしくなって、

「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、いいえ、誰でも。

大漁

大漁

イワシの群れ 出典:Wikipedia

 

「大漁」は金子みすゞが仙崎での体現を色濃く反映させた作品です。鰮が大漁に取れて浜辺がお祭り騒ぎになる一方で、海の底では鰮の弔いをする者達がいる。この世には全て光と影、裏と表があり、大漁はそんな世界の掟を驚くほど大胆に表現しています。

> 朝焼け小焼だ、 大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。
浜は祭りの ようだけど、
海のなかでは 何万の、
鰮(いわし)のとむらい するだろう。

金子みすゞの名言

金子みすゞの名言

金子みすゞが最後に見た月は… 出典:Wikipedia

 

今夜の月のように私の心も静かです

金子みすゞが母親に宛てた遺書に残されていた言葉です。金子みすゞにとって、死ぬ事は恐ろしい事ではなく、娘を母親の元で養育する為の決死の手段でした。仮に病に犯された自分がこの世から去っても、娘のふさえには母のミチもいる。そんな穏やかな心境が遺書の中にも表れているのです。

なお、金子みすゞの遺書と自殺が決め手となり、ふさえは母・ミチのもとで養育される事になりました。

金子みすゞの家族や子孫

金子みすゞの家族背景は割と複雑で、宮本啓喜と結婚する事になったのも、それ相応の理由がありました。この項目では金子みすゞの家族や子孫のその後について解説していきます。

金子みすゞの家族背景

金子みすゞの家族背景

金子みすゞの一家は書店経営をする一族だった 出典:Wikipedia

 

金子ミチは金子みすゞの母親です。夫・庄之助は、金子ミチの妹・フジの嫁ぎ先である下関の書店「上山文英堂」の清国営口支店長を務めていましたが、金子みすゞが3歳の時に死去しています。この頃の金子みすゞは祖母・ウメ、母・ミチ、2歳年上の堅助、2歳年下の正祐の5人家族。一家は上山文英堂の後押しを受けて、金子文英堂を経営するものの生活は苦しかったようです。

金子ミチの妹・フジと夫・松蔵との間に子供はおらず、金子みすゞが4歳の時に弟の正祐は妹夫婦の養子に貰われていきました。正祐は長らくの間、金子みすゞが実の姉である事を知らず、金子みすゞに恋心を抱いていたとされます。

更に金子みすゞが15歳の時に母の妹・フジが亡くなると、母・ミチは松蔵と再婚します。これは上山文英堂の存続の為ではあったものの、金子みすゞは弟と母親を上山文英堂とその店主である松蔵に取られた事になりました。

金子みすゞの作品には、「母」を題材にしたものが数多くあります。それはこうした家庭環境が影響しているのかもしれません。

金子みすゞの兄と弟

金子みすゞの兄と弟

兄は多趣味な人だった 出典:Wikipedia

 

金子みすゞの兄は堅助といい、小学校を卒業すると上山文英堂の全面的な支援を受け金子文英堂の店主として全ての責任を負う事となります。堅助は多芸な人物で、ラジオを自分で作ったり、麻雀やバイオリンなども嗜んでいました。

やがて堅助は21歳で大島チウサという金子みすゞの幼なじみと結婚しますが、夫婦仲はあまり良くなかったようです。金子みすゞは居心地の悪さを感じたのか、後に母のいる下関に移り住んでいます。やがて金子みすゞは3年間の結婚を経て自殺。養子の正祐は家出して、上山文英堂を継ぐ者はいなかった為、堅助が店を継ぐ事になり、下関に移住しています。

時期は不明ですが、堅助は後に2児をもうけたチウサと離婚。上山文英堂も破産させるなど、その晩年は決して恵まれたものではありませんでした。彼の足跡はほとんど残されていませんが、1983年に82歳で亡くなっています。

文藝春秋社の本館 出典:Wikipedia

 

金子みすゞの弟は正祐といい、前述した通り上山文英堂を継ぐ為、松像の養子になりました。金子みすゞとは仲が良く、女癖の悪い宮本啓喜との結婚には終始反対していたとされます。後に家出し、文藝春秋社の「映画時代」編集部に入社しています。

戦前は「お使ひは自轉車に乗つて」の作詞、戦後は宮田洋容・布地由起江の漫才台本など、多岐にわたる分野で足跡を残しました。ちなみに上山雅輔とも名乗っており、1949年に妻や娘と劇団若草を立ち上げました。

多忙な活動の傍らで、金子みすゞの足跡を後世に残す事に尽力。1984年に児童文学者の矢崎節夫らと金子みすゞの遺稿集を出版し、金子みすゞの名前を再び世に知らしめたのでした。様々な功績を残しつつ、正祐は1989年に84歳で死去しています。

上村ふさえ

上村ふさえ

長門市にある青海島 出典:Wikipedia

 

金子みすゞの娘であるふさえは金子みすゞの母・ミチのもとで養育され、豊かな心の糧を与えられていきました。当時は心中する時は子供も道連れにするのが当たり前の時代。ふさえは「自分が母親に愛されていなかった」と考える事もあったそうです。

やがてふさえは20代で結婚し、後に娘も生まれました。家庭を持つ事で、母や祖母に感謝の気持ちを持つようになりました。彼女の存在は、金子みすゞが詩に込めた「命の大切さや命のつながり」を体現する存在だったといえるでしょう。

上村ふさえの娘については情報はありませんが、きっとどこかで幸せに暮らしているのではないでしょうか。

金子みすゞのゆかりの地

金子みすゞ記念館

金子みすゞ記念館

金子みすゞ記念館 出典:Wikipedia

 

金子みすゞ記念館は、金子みすゞの実家である「金子文英堂」の跡地に建てられた記念館です。記念館が建設されたのは2003年の事で、その理由は金子みすゞ生誕100年を記念してのものでした。

遺稿集のレプリカや金子みすゞの部屋などが再現されています。当時の仙崎村の生活のあり方なども解説されており、当時の郷土を知る上でも学べることは多いです。

住所:山口県長門市仙崎1308

みすゞ公園

みすゞ公園

青海島から見える仙崎 出典:Wikipedia

 

みすゞ公園は三隅と仙崎を結ぶ白潟トンネル入口につくられた道路公園です。金子みすゞの詩碑が6基存在する他、金子みすゞの詩に出てくる木や草の植え付けがなされています。金子みすゞの詩の世界観を反映したものになっており、頂上にある「丘の上展望台」からは仙崎の町を一望する事ができます。

住所:山口県長門市仙崎白潟

金子みすゞの関連人物

矢崎節夫

矢崎節夫

矢崎節子は早稲田大学で金子みすゞの作品を知った 出典:Wikipedia

 

矢崎節夫は東京生まれの童謡詩人です。1975年に『二十七ばん目のはこ』で児童文芸新人賞を受賞するなど、児童文学の分野で活躍しました。彼は1966年、早稲田大学1年生の頃に、岩波文庫が唯一所収していた金子みすゞの作品「大漁」を読み、その文学性の高さに驚愕。以降、16年にわたり金子みすゞの作品探しを続けました。

矢崎節夫は後に正祐と出会い、保管されていた遺稿集3冊を託されます。これは金子みすゞが宮本啓喜から詩を書く事を禁じられて絶望していた時に執筆したものでした。これらの遺稿集は1984年に『金子みすゞ全集』として出版され、金子みすゞの作品は再び多くの人達の心に深い感銘を与える事になるのです。

金子みすゞの再評価には、彼の功績があった事を忘れてはいけませんね。

ちひろ

ちひろ

シンガーソングライター・ちひろ 出典:Wikipedia

 

ちひろは山口氏出身のシンガーソングライターであり、ラジオパーソナリティも務めている人物です。彼女は日本における音楽療法士の先駆けといえる存在で、1997年からは作曲家としての活動も開始。2003年に帰郷した時に、実家にあった金子みすゞの詩集に衝撃を受けて金子みすゞの詩に曲をつけるようになりました。

金子みすゞの詩を中心とした楽曲の他、ミュージカル音楽や学校校歌、ご当地ソングなどを手がけています。2017年には宇部フロンティア短期大学の客員教授に就任し、2021年には「みすゞさんと明るいほうへ」というラジオのパーソナリティに就任。デビューから25年を経ても精力的に活動を続けています。

金子みすゞの関連作品

金子みすゞの詩はどれも評価が高いですが、その悲壮な生涯も注目される要因の一つです。この項目では、金子みすゞにまつわるさまざまな作品を紹介していきます。これらの作品を知る事で、金子みすゞの作品に対する理解が更に深まるかもしれません。

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2012年にTBSで放送されたテレビドラマです。金子みすゞの生涯を仙崎村を舞台にして描いたものであり、上戸彩が金子みすゞを演じています。本編中で表示されている童謡は、金子みすゞの直筆のもの。内容を2時間でまとめた為、駆け足感は否めませんが、仙崎村の空気感や書店のセットの凝り様など、この作品だからこその見どころも多いです。

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金子みすゞについてのまとめ

今回は金子みすゞの生涯について解説しました。金子みすゞは卓越した詩の才能を持ちながら、その生涯はさまざまな運命に翻弄されたものでした。あたたかみのある詩の背景には、一連の苦悩や葛藤が色濃く反映されていた事は間違いありません。こうした彼女の人物像や背景を学ぶ事で、詩に対する印象も違ってくるのではないでしょうか。

2023年は金子みすゞの生誕120年。この記事を通じて金子みすゞの生涯や詩に興味を持っていただけたら幸いです。

参考文献

http://k-misuzu.com/history.html
http://nontenpcan.okoshi-yasu.com/kaneko-m/about-misuzu-menu.html
https://core.ac.uk/download/pdf/230202387.pdf

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