【引っ越し魔な浮世絵師】葛飾北斎の生涯と人物像とは?作品・名言・死因・子孫も

葛飾北斎は江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、「富嶽三十六景」や「北斎漫画」等の多くの作品を生み出しました。生涯に発表した作品は挿絵も含めれば3万点。その作品は高く評価され、ゴッホ等の海外の画家にも大きな影響を与えたとされます。

北斎が浮世絵師という事はよく知られていますが、その人物像や生涯については知らない人も多いかもしれません。北斎は生涯に93回もの引っ越しをする等、実に面白いエピソードを持つ人物でもあります。今回はそんな葛飾北斎の生涯に迫っていきます。

葛飾北斎とは?

葛飾北斎とは?

(1839年頃の自画像 出典:Wikipedia)

 

氏名川村鉄蔵
通称・あだ名葛飾北斎 他多数
出生日宝暦10年(1760年)9月23日
出生地武蔵国葛飾郡本所割下水(現・東京都墨田区)
死没日嘉永2年(1849年)4月18日
死没地江戸・浅草聖天町(現・東京都台東区)
職業絵師
身長不明
体重不明
配偶者先妻の名前は不明 後妻は「こと」

葛飾北斎の人生年表・生涯

年齢出来事
1760年0歳誕生
1778年19歳勝川春章に弟子入り 翌年に絵師デビューを果たす
1794年25歳細川派を破門される 翌年に美人画「宗理画美人」で人気絵師となる
1805年46歳葛飾北斎の名を用いる
1814年55歳「北斎漫画」の初版を発刊
1832年72歳「富嶽三十六景」が大ヒット
1849年90歳死去

葛飾北斎の生涯①

葛飾北斎の生涯①

(北斎のデビュー作 出典:Wikipedia)

※北斎は生涯に何度も名前を変えていますが、今回の記事では「北斎」に名を統一して解説していきます。

北斎は1760年に武蔵国葛飾郡で、川村家の子どもとして生まれます。幼少期の北斎は不明な事が多く、4歳の時に幕府御用達の鏡磨師・中島伊勢の養子となりました。北斎が絵を描き始めたのは6歳の頃です。12歳の頃には丁稚奉公として働く傍ら、本の挿絵をみて絵の勉強をしています。

18歳の時に浮世絵師・勝川春章のもとで弟子入りし、才能を開花させました。当時の北斎は黄表紙や洒落本、春画等の様々な絵の技術を吸収。翌年には役者絵「瀬川菊之丞 正宗娘おれん」でデビューを果たしたのです。

1780年に黄表紙「驪山比翼塚」の挿絵を手がけ、そこから数年は挿絵師として活躍を続けました。この頃の北斎はまだ絵師としての知名度は低く、副業で生計を立てていました。

葛飾北斎の生涯②

葛飾北斎の生涯②

(二美人図 出典:Wikipedia)

 

1793年には師匠の勝川春章が死没し、翌年に細川派を破門されています。破門の理由は不明なものの、細川派とは別の流派の勉強をしていたとも、兄弟子との不仲とも諸説あります。

1795年に尾形光琳・俵屋宗達らの琳派に加わり、三代目 俵屋宗理を襲名。琳派は美人画を得意とする流派で、北斎も「宗理型美人」で人気絵師へと上り詰めました。

しかし1798年に北斎は独立。どの流派にも属さずに、自分だけの絵を描く事を決意します。

1804年に発表した「二美人図」は後に国の重要文化財となり、この頃から北斎は曲亭馬琴十返舎一九などの名だたる作家の挿絵も手がけ始めます。北斎が「葛飾北斎」の画号を名乗ったのもこの頃でした。

1810年には弟子が200人を超えるまでに成長。これは当時の浮世絵界最大の流派・歌川派に匹敵するものでした。いつしか北斎は浮世絵界のトップクラスの存在になっていたのです。

葛飾北斎の生涯③

葛飾北斎の生涯③

(北斎漫画 出典:Wikipedia)

 

1814年には庶民の生活や動植物の絵を収めた「北斎漫画」が刊行され、庶民の間で人気を博します。

1823年には日本だけでなく、世界にも影響を与えた「富嶽三十六景」にも着手。これらの作品は長い着想を経て1831年に遂に発表されました。この頃の江戸は空前の行楽ブームが到来しており、各地の名所と富士山を様々な視点から描いた名画は大ヒットとなります。

その後も北斎は「富嶽百景」等の作品に着手。1842年、83歳で脳卒中になるものの、奇跡的に回復して絵を再び描き始めています。北斎は何歳になっても絵を描き続けていましたが、その意味が「富嶽百景」のあとがきに書かれてます。

> 私は6歳の頃から物の姿を絵に移してきた。
50歳の頃から随分たくさんの絵や本を出したが、ようやく考えてみると70歳までに描いたものにはろくな絵はない。

> 73歳になってどうやら鳥や獣、虫や魚の本当の形とか、草木の生きている姿とかが分かってきた。

> だから80歳になるとずっと進歩し、90歳になったらいっそうう奥まで見極めることができ、100歳になったら思い通りに描けるだろうし、110歳になったらどんなものも生きているように描けるようになるだろう

北斎の心意気は何歳になっても衰える事はなく、むしろ年齢の積み重ねは更なる高みへと上り詰めていく過程だったのです。

葛飾北斎の死因と最期の言葉

葛飾北斎の死因と最期の言葉

(『冨嶽三十六景 凱風快晴』 出典:Wikipedia)

 

北斎は100歳、いや110歳まで絵を描く事を宣言していました。しかし1849年、90歳の年に体調を崩してしまいます。当時としてはかなりの長寿でしたが、北斎はまだ絵を描く事に心残りがありました。

北斎は死の間際にこのように述べています。
> 天が私の命をあと5年伸ばしてくれたら、私は本当の絵描きなる事ができるだろう

仮に北斎があと5年長生きしていれば、どれほど凄い作品が生まれていたのでしょうか。気になるところです。

生前の北斎は金に無頓着で、貧乏な生活をしていました。ただ弟子や友人がお金を出し合い、立派な葬式が執り行われる事になりました。

葛飾北斎の代表作品

北斎が生涯に描いた作品は挿絵なども含めれば実に3万点。役者絵や美人画、名所絵に春画等なジャンルを開拓しました。

今回はその中でも代表的なものを解説していきます。

北斎漫画

北斎漫画

(北斎漫画 出典:Wikipedia)

 

北斎が浮世絵師・牧墨僊宅に逗留した時に書き溜めた下絵をまとめたもので、1814年に発表されています。人物画に動物、更には妖怪なども描かれており、当時のベストセラーになりました。好評だった為、最後の第十五編は北斎が死去してから30年後の1878年に刊行されています。

富嶽三十六景

富嶽三十六景

(『冨嶽三十六景 尾州不二見原』 出典:Wikipedia)

 

富士山を主題にして描かれた大判錦絵による風景画です。北斎の代表作であり、世界的な知名度を誇ります。本来は三十六景の予定でしたが、売れ行きが好評な為に十点追加されました。追加された十点は裏不二と呼ばれました。

富嶽三十六景には輸入化学染料であるプルシアン・ブルーが使用され、これらはベロ藍と呼ばれています。この藍色はゴッホ等の西洋画家にも大きな影響を与えました。

信州小布施の肉筆画

信州小布施の肉筆画

(岩松院 『八方睨み鳳凰図』下絵 出典:Wikipedia)

 

北斎は信州小布施出身の豪農商・高井鴻山を弟子としています。その縁もあり、老境に差し掛かった北斎は1842年に小布施を訪れました。北斎はこの地にある岩松院という寺の天井に八方睨み鳳凰図という肉筆画を描き始めます。

この作品の為に北斎は4回小布施を訪れ、89歳で作品を完成させた後に亡くなったとされていました。しかし近年では直接天井に絵を描いたとは考えにくく、完成した作品を天井に釣り上げたともされています。また作品自体も北斎だけでなく、娘のお栄(葛飾応為)が手伝ったともされています。

いずれにせよ、北斎の最晩年の名作に変わりはありません。

この他にも沢山の名作があるので、気になる人は他の作品もチェックしてください。

葛飾北斎の性格と人物像エピソード

絵に明け暮れた画狂

絵に明け暮れた画狂

(『冨嶽三十六景 駿州江尻』 出典:Wikipedia)

 

北斎の絵に対する探究心は並々ならぬものがありました。80歳を過ぎても筆をとらない日はなく、作品を作り続けています。ただ絵以外の事は全くの無頓着であり、数々の常軌を逸したエピソードが残されています。

北斎は衣類に無頓着でした。9月から4月の寒い時期に差し掛かるとコタツに入り、一日中絵を描いていました。来客が来ても応対せず、疲れたら横の枕で眠り、目が覚めたら再び作品作りに取り掛かります。

更に北斎は金に無頓着でした。報酬をもらっても包みを解かずに机に放置。米屋や薪屋が請求に来ても包みを投げ、それを請求代として渡したそうです。北斎は他の浮世絵師よりも高い報酬を得ていましたが、そんな生活を続けていた為、生涯極貧の生活を続けていたのです。

絵に対する矜持

絵に対する矜持

(シーボルト 出典:Wikipedia)

 

お金に無頓着な北斎でしたが、作品を安価な値段で売る事は決してしませんでした。1826年に訪日したシーボルトは、北斎に「男女の生涯を描いた絵」を2巻150金で依頼しています。しかしシーボルトは「半値75金でどうか」と支払いの時に打診をしています。

北斎は「色彩を変えて75金のものを仕上げたのに、どうして最初に言わないのか」と立腹しました。シーボルトは「それなら1巻だけ75金で買う」と述べています。しかし北斎は2巻とも持ち帰り、契約はご破算となりました。

妻・ことが「損と分かってても売れば良いのに」と述べると、北斎は「日本人は人をみて値段を変えると思われたくない」と答えました。北斎は自分の生活を犠牲にしてでも、絵の価値を下げたくなかったのです。

葛飾北斎の逸話と凄さ

引っ越しは生涯に93回

引っ越しは生涯に93回

(『諸国名橋奇覧 飛越の堺つりはし』 出典:Wikipedia)

 

北斎が生涯に引っ越した回数は93回。75歳の時には既に56回に達し、多い時には1日3回引っ越した事もありました。北斎は日々の生活には無頓着で、部屋が散らかるたびに引っ越しをしていたのです。

北斎が引っ越しを繰り返した理由として、生涯に100回引っ越す事を目標とした百庵という人物に出会った事がきっかけという説もあります。

93回目の引っ越しで北斎は以前住んでいた借家に戻ってきます。しかし以前と何一つ変わっていない部屋をみて、北斎は引っ越しの無意味さを悟り、それ以降は引っ越しをする事はありませんでした。

富嶽三十六景から見る北斎の観察眼

富嶽三十六景から見る北斎の観察眼

(『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』出典:Wikipedia)

 

富嶽三十六景で一番有名なのは「神奈川沖浪裏」でしょう。激しい波と三隻の船、そして遠くからその様を見届ける富士山。今にも波が船を飲み込んでしまいそうです。

波が崩れる瞬間は私達から見れば、波の抽象表現にしか見えません。神奈川沖浪裏と似たような波を1/8000秒で静止すると、ほぼ同じ形状の波が浮かび上がってきます。北斎の脳内には常人には追えない程の瞬間が存在していたのかもしれません。

この作品は世界的に有名な上、2024年から発行される2024年の新千円札の裏面に採用される事が決まっています。新たな千円を見るたびに、北斎の素晴らしさを感じて欲しいですね。

北斎は国際的に高い評価を得る

北斎は国際的に高い評価を得る

(ゴッホ『花魁』 出典:Wikipedia)

 

江戸時代の大衆文化となった浮世絵はヨーロッパでも高い評価を得るようになりました。ヨーロッパの絵画技法は19世紀半ばに画一的となり、閉塞感が漂っていました。そんな中、1867年にパリ万博が開催され、北斎の絵も日本の絵画として出品されています。

北斎を中心とした浮世絵師の描いた技法、木版画の色彩、躍動的溢れる人々や動物のポーズ。これらは当時のヨーロッパには存在し得ないものでした。ヨーロッパの画家達は北斎を始めとした浮世絵師の絵画に夢中となります。

モネやルノワールなど、当時の画家達は浮世絵をモチーフにした絵画を描き始めたのです。これはジャポニズムと呼ばれ、ヨーロッパにとっては一つの革命でした。国内でも一線を画す北斎の浮世絵は、特に高い評価を受けました。

私達は北斎を「江戸時代を代表する浮世絵師」と考えているかもしれません。しかし海外での人気や知名度は国内の比ではなく、1999年にはアメリカの雑誌・ライフの企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」では日本人で唯一86位にランクインしました。

葛飾北斎の名言

葛飾北斎の名言

(『千絵の海の総州銚子』 出典:Wikipedia)

 

人物を書くには骨格を知らなければ真実とは成り得ない。

北斎は人物を描くにあたり、解剖学や接骨術も学んでいます。関節や筋肉の動きを知る事で、人間らしい躍動感のある動きを描く事が出来ます。感覚ではなく、確かな法則に基づいて絵を描く。北斎の絵に対する情熱が垣間見える名言です。

ひと魂でゆく気散じや夏の原

北斎の辞世の句です。意味は「死後は人魂となり、夏の草原を飛んで行こう」というもの。絵を描けない事への心残りはあるかもしれませんが、死後の世界は北斎にとっては新たな門出でもありました。

怪談なども手がけていた北斎らしい辞世の句と会えるでしょう。

葛飾北斎の家系図・子孫

北斎の妻

北斎は生涯に2回結婚しているものの、妻達の素性は謎に包まれています。

最初の結婚は1778年頃、北斎が20歳で勝川春朗の画号としてデビューした頃でした。名前などは分かっていません。2人は1男2女をもうけたもされます。最初の妻は1795年、北斎が尾形光琳・俵屋宗達らが興した琳派に加わった頃に病死しています。

2人目の妻との結婚は1798年頃、絵師として独立を果たした頃です。こととの間には1男2女を儲けています。ことは1828年に他界したとされ、この時を境に北斎は美人画を描く事はなくなったとされます。

北斎の子供達

北斎の子供達

(三女のお栄は葛飾応為と呼ばれた 出典:Wikipedia)

 

北斎は2人の妻との間に2人の男子と4人の女子を儲けました。その中で最も北斎の血を受け継いだのは、三女の「お栄」です。彼女は「葛飾応為(おうい)」と呼ばれ、美人画を得意とする浮世絵師でした。1810年頃から作品を残したものの、現存する作品は十数点と非常に少ない為、謎多き人物でもあります。

お栄の作品は北斎にも大きな影響を与えており、一説では北斎の80歳以降の作品にはお栄との共作も数多くされているとされます。

ちなみにお栄は北斎の性格も引き継いでおり、夫から離縁を突きつけられて出戻りしています。彼女も北斎同様に部屋を掃除する事なく、浮世絵作りに没頭していました。まだまだ不明な事も多い女性ですが、謎が解き明かされると良いですね。

葛飾北斎のゆかりの地

すみだ北斎美術館

すみだ北斎美術館

(出典:Wikipedia)

 

北斎は生涯に93回の引っ越しをしましたが、現在の墨田区一帯に住み続けました。2016年に北斎のゆかりの地と言える墨田区に、美術館が誕生しました。収蔵作品数は約1800点と、北斎作品を間近で堪能する事が出来ます。

浮世絵ができる過程や、再現された北斎のアトリエなど、様々な見所もあります。墨田区を訪れたなら是非とも足を運びたい場所ですね。

住所:東京都墨田区亀沢二丁目7番2号

北斎館

北斎は高井鴻山の招聘により、現在の長野県の小布施町に4年程滞在した事がありました。この地には北斎の作品を持つ人がたくさんいたものの、海外での北斎人気が高まるにつれて多くの作品が海外に流出する危険性があったのです。

それを危惧した小布施町は北斎の作品を保護する目的でこの記念館を作りました。北斎の肉筆画40点を含めた全100点が展示されている他、浮世絵関連の本も多数収蔵されています。

記念館が開館したのは1976年であり、これといった観光地のなかった小布施町を長野県有数の人気観光地に押し上げたのです。2019年には来場者が900万人を突破しています。

住所:長野県上高井郡小布施町

誓教寺

北斎は日蓮宗の信者だったものの、菩提寺は浄土宗でした。その為、死後は浄土宗である誓教寺に祀られています。

墓標には「画狂老人卍墓」と書かれていますが、卍とは北斎の画号の一つです。毎年4月に法要忌が開かれており、多くの人達が北斎の死を偲んでいます。

住所:東京都台東区元浅草4-6-9

葛飾北斎の関連人物

歌川広重

歌川広重

(広重の死絵 出典:Wikipedia)

 

歌川広重は北斎と同じく、江戸後期を代表する浮世絵師です。北斎が富嶽三十六景で一世を風靡した僅か2年後の1833年、広重は東海道の宿場を題材にした「東海道五拾三次」を発表。広重は北斎を凌駕する人気絵師となったのです。

「東海道五拾三次」が発表された時、広重は37歳、そして北斎は74歳。倍の年齢差がある2人はバチバチと火花を散らします。

結論から言えば風景画で庶民の人気を博したのは広重でした。北斎は広重に負けない絵を描く為、肉筆画へシフトしています。反対に広重は風景画を更に洗練させていったのです。両者はライバルであると共に互いを高め合う存在でもありました。

ゴッホ

ゴッホ

(ゴッホの自画像 出典:Wikipedia)

 

ゴッホはオランダを代表する画家であり、北斎の浮世絵に大きな影響を受けた人物です。ゴッホは数百点もの浮世絵を所有しており、浮世絵に出会う前と後では作品の色彩は大きく異なります。

ゴッホの作品「サント=マリーの海の風景」「星月夜」は北斎の富嶽三十六景に感化されて作られたものです。また「タンギー爺さん」の背景には浮世絵が描かれています。ゴッホは北斎の作品を昇華させ、更なる名作を作り上げていきました。

葛飾北斎の関連作品

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北斎の生涯は90年。ここでは書く事が出来なかった様々なエピソードや偉業が存在します。本書はあまり知られていない北斎の生涯に迫る貴重な一冊です。北斎の探究心や絵に対する情熱がよく分かります。

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2021年5月に放映された北斎を主人公にした映画です。北斎の青年期を柳楽優弥、老年期を田中泯が演じます。本作は北斎の盟友である柳亭種彦と、版元の蔦屋重三郎とのエピソードを軸に物語が進行し、北斎の人物像と3つの波の秘密に迫る内容となっています。

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まとめ

今回は葛飾北斎の生涯や人物像について解説しました。日本のみならず世界を代表する浮世絵師である北斎は、まさに絵に人生を捧げた生涯を送りました。

現在でも高齢とされる80歳を過ぎても北斎は次々と名作を生み出していきます。本当に北斎があと5年長く生きる事が出来たなら、本当に世界を変えてしまう程の名作が生まれたかもしれません。今回の記事を通じて北斎の生涯や作品に興味を持っていただけたら幸いです。

参考文献

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/葛飾北斎

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