シモヘイヘは、20世紀にフィンランドで活躍した軍人です。第二次世界大戦の最中に起きた冬戦争では、ソビエト連邦の赤軍を多数狙撃し「白い死神」と恐れられました。
その人間離れした射撃能力は今も語り継がれており、数々の伝説も作られています。ただ伝説やコピペが一人歩きする一方で、シモヘイヘの生涯や性格、実像については詳しく知らない人も多いでしょう。今回はシモヘイヘの伝説にも触れつつ、彼の実像に迫っていきます。
目次
シモヘイヘのプロフィール
シモヘイヘは、1905年にフィンランドの小さな町・ルオコラハティで誕生します。20歳の頃に民兵組織「白衛軍」に加入。その後は兵役を経て予備役となります。
やがてシモヘイヘは、1939年11月30日にソビエト連邦との間に勃発した冬戦争で、予備役兵長として招集されました。シモヘイヘは3月6日に重症を負い戦線から離脱するまでの間、ソ連兵を恐れさせるスナイパーとして活躍。公式確認戦果では542人を殺害したとされます。
戦線を離脱した後は退役し、その後は猟師や農家、猟犬のブリーダーとして余生を過ごします。やがて、2002年に96歳で亡くなりました。
氏名シモヘイヘ通称・あだ名白い死神出生日1905年12月17日出生地フィンランド大公国
ヴィープリ州 ラウトヤルヴィ死没日2002年4月1日死没地(亡くなった場所)フィンランド 南スオミ州
南カルヤラ県 ルオコラハティ血液型不明職業軍人・猟師・猟犬ブリーダー身長152cm体重不明配偶者なし座右の銘不明
シモヘイヘの人生年表・生涯
シモヘイヘの人生年表
年 | 出来事 |
---|---|
1905年 | シモヘイヘ誕生 |
1925年頃 | 民兵組織「白衛軍」に加入 |
1925年 | フィンランド陸軍に入隊 |
1939年 | 冬戦争が勃発し、シモヘイヘは従軍して活躍する |
1940年 | 負傷して戦線から離脱する |
2002年 | 96歳で亡くなる |
フィンランドの小さな町で生まれる
シモヘイヘは1905年12月17日に、フィンランド南東部の小さな町・ラウトヤルヴィで生まれました。幼少期から少年時代の様子については、詳しい記録はありません。軍人になる前は、猟師兼農民で、キツネ撃ちが得意でした。
1925年頃、20歳の頃には民兵組織「白衛軍」に加入。地元の射撃の大会にも参加し、数々のトロフィーを獲得するなど、当時から射撃の才能を開花させていました。
フィンランドには兵役の義務があり、シモヘイヘは同年1925年にフィンランド陸軍に入隊します。当初は第1自転車大隊に所属しますが、下士官学校を経て兵長に昇進。その後は第2自動車大隊に所属し、合計15ヶ月間の兵役義務を終えた後は、予備役となり、民間防衛隊に入隊します。
ちなみに予備役軍人とは、有事や訓練の時のみ駆り出される軍人の事。つまりシモヘイヘは、軍学校を卒業したようなエリート軍人ではなく、あくまで徴兵された兵卒の1人に過ぎませんでした。
冬戦争の到来
第二次世界大戦勃発から3ヶ月後の1939年11月30日。ソビエト連邦がフィンランドに侵攻する形で、「冬戦争」が勃発します。シモヘイヘは当時34歳で、予備役軍人という立場でしたが、歩兵第12師団第34連隊第6中隊(通称・カワウ中隊)に配属されます。
シモヘイヘは故郷の近くにあるコッラ川周辺の防衛任務につきました。この地で「コッラ川の戦い」が起きたのは12月7日の事。シモヘイヘは、指揮官であるアールネ・ユーティライネン中尉の判断で、狙撃兵の任務を与えられました。ソ連軍1万5876人に対し、フィンランド軍は5090人と、フィンランド軍は圧倒的に不利な戦いを強いられます。
シモヘイヘはこの戦いで、非公式なものを含め542名のソ連兵を殺害しました。ただこの人数は狙撃銃以外の火器で殺害した人数は含まれておらず、実際の殺害人数はもっと多いと思われます。ソ連側は、シモヘイヘを止めるため、カウンタースナイパーの配置などの対策を考えています。各部隊はコッラ川の各地に散らばり、シモヘイヘは32名で4000人ものソ連兵を相手に、防衛に成功しました。
1940年3月6日の戦いで、シモヘイヘは顔に重傷を負いました、一命は取り留めたものの、意識が回復したのは3月13日の事。フィンランドは3月12日にモスクワ講和条約を締結しており、シモヘイヘが意識を失っている間に冬戦争は終結していました。フィンランドは一部の領土を割譲する憂き目に遭うものの、独立を保つ事ができました。それはシモヘイヘなど、国を想う人たちの努力のおかげでした。
前線から退く
冬戦争を終えるとシモヘイヘは、その功績を讃えられ、マンネルヘイム元帥と面会。第一級自由十字褒章とコッラー十字章を受勲します。更に兵長から少尉へと、異例とも言える5階級特進を果たしました。
一度は休戦したソ連との戦争ですが、ソ連はその後もフィンランドの脅威であり続けます。フィンランドは8月にフィンランドはドイツと秘密協定を結び、ソ連と対立する道を選びました。1941年6月22日に独ソ戦が勃発し、ソ連がフィンランドに空爆を行います。結果的に、6月25日にフィンランドもソ連に宣戦布告を行い再び戦争が始まりました(継続戦争)。
シモヘイヘは継続戦争へ従軍することを望みますが、昨年に負った怪我の影響で幾度にわたる手術を余儀なくされており、叶いませんでした。そのままシモヘイヘは軍人を退役し、猟師、農家、猟犬のブリーダーとしての余生を過ごしました。
シモヘイヘの死因と死んだ場所
シモヘイヘは、2002年4月1日に96歳で死去します。死因は不明ですが、年齢を考慮すれば老衰と考えても良いでしょう。彼の死んだ場所はルオコラハティという小さな町。この地は、シモヘイヘが生まれたラウトヤルヴィの隣町であり、同じくロシアと国境を接しています。白い死神と呼ばれた功績から、華々しい生活を送ることもできましたが、彼らあくまでも質素な生活を貫いたのでした。
シモヘイヘの遺書の意味
沈黙を貫いたシモヘイヘですが、彼は遺族に以下の遺書を残しています。
「もしフィンランドがカレリアを取り戻したら、戦後に国から貰った土地は返上し、我が一族が使っていた土地を手に入れること」
カレリアは、フィンランドの南東部からロシアの北西部に広がる森林や沼地が広がる土地を指します。この地はフィンランド人にとって精神的な原郷であり、サーマ人や北西フィン・ウゴル語族の故地でもある歴史的に複雑な場所です。冬戦争や継続戦争を経て、カレリアはロシア共和国のレニングラード州、カレリア共和国、フィンランドの北カルヤラ県と南カルヤラ県に分割されました。
シモヘイヘは沈黙を保ちつつ、内心ではずっとカレリアの奪還を願っていたのですね。
シモヘイヘはどんな人?
白い死神と呼ばれた男
シモヘイヘが戦争の最前線で戦闘に臨んだのは、わずか3ヶ月。この間にシモヘイヘは、数多くのソ連兵を射殺します。-40℃にもなる極寒の中、シモヘイヘは積雪に擬態するため、純白のスノースーツに身を包みます。更に寒中で吐く息が白くなると、ソ連兵に気づかれる恐れがあるため、雪を口に含む徹底ぶり。
シモヘイヘに襲われるソ連兵は、彼を「白い死神」と呼びました。
フィンランドの英雄となる
シモヘイヘが3ヶ月ほどの間に殺害したソ連兵は「少なくとも542人」。実際には800人以上に達するという見解もあります。冬戦争の終結に大きな影響を与えたため、シモヘイヘはフィンランドの英雄として語り継がれています。
冬戦争終戦後に、第一級自由十字褒章とコッラー十字章を受勲。更に兵長から少尉への異例の5階級特進を果たすなど、フィンランドはシモヘイヘの功績に報いました。2004年にフィンランドでは、国営放送のもとで「最も偉大なフィンランド人」ランキングが発表されます。
シモヘイヘは74位に選定され、軍人の中では3位です。軍人の1位は冬戦争、継続戦争において最高指揮官となったカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム。2位は、冬戦争及び継続戦争ではフィンランド国防軍大尉として歩兵中隊を率いたラリー・アラン・ソーンが続きます。上位の2人が冬戦争や継続戦争の指揮官であることを考えるならば、一介の狙撃手に過ぎないシモヘイヘの国民人気がわかるのではないでしょうか。
シモヘイヘのライフル銃の腕前について
サブマシンガンやライフルの使い手
シモヘイヘの愛用したライフルはモシン・ナガンM1891/30。こちらはロシア帝国が開発した、モシン・ナガンM189を改良したもので、大きさは120cm以上あります。
シモヘイヘは152cmという小柄な体型でしたが、モシン・ナガンM1891/30を手足のように自由自在に扱いました。狙撃の技術は入隊前から営んできた猟で養い、狙撃訓練課程では150mの距離から1分間に16発の的中に成功しています。この精度は脅威的なものであり、戦地にしろ猟にしろ、シモヘイヘは狙った相手を確実に仕留めていたとされます。
サブマシンガンやライフルの使い手
モシン・ナガンM1891/30には3.5倍〜4倍のスコープを使用できましたが、シモヘイヘはスコープを使用していません。銃身に付いた鉄製の照星と照門のみで狙撃を行なっています。にもかかわらず、実戦では300m以内の距離ならば確実に相手を仕留め、最長で450m先の相手を仕留めた記録も残っています。
脅威的な視力をもつアフリカのマサイ族は、400~500m先の目標物を見ることが可能です。シモヘイヘも彼らに相当する視力を持っていたのでしょう。シモヘイヘの射撃の能力は常人離れした視力の影響もありました。
シモヘイヘはなぜ顔が変形しているのか
シモヘイヘといえば、顔の左半分が変形した写真が有名です。彼はなぜ、顔が変形したのでしょうか。この項目では、その理由について解説します。
戦地で負傷し顔半分を吹き飛ばされる
シモヘイヘが戦地で負傷したのは、1940年3月6日。冬戦争が終結する1週間前の事でした。ソ連はシモヘイヘを重大な脅威と考え、砲撃やカウンタースナイパーの配置などの対策を講じていました。シモヘイヘが意識不明で救出された時、シモヘイヘを収容した兵士は、「彼の頭は半分なくなっていた」と述べています。
病院に搬送される時、シモヘイヘは小舟に乗せられていました。ただ出血で窒息する恐れがあり、うつ伏せにさせられています。シモヘイヘが病院に搬送された時、病院の関係者も仲間たちもシモヘイヘが亡くなったと思い、葬式(お別れ会)も開かれています。ですが、その最中にシモヘイヘが生きていることが発覚し、彼は一命を取り留めました。
後遺症が残る
一命を取り留めたシモヘイヘですが、顔の左半分が変形する肌の後遺症が残りました。更に何度も手術が必要になり、その後の継続戦争に従軍することはできていません。戦後のインタビューでも、シモヘイヘは発話が聞き取りにくかったそうです。
冬戦争でなんとか独立を保ったフィンランドは、その後の継続戦争でも奮闘し、ソ連軍に自国の3倍もの損害を与えます。しかし、カレリアの一部は奪還され、北極海に面するペツァモ州もソ連に奪われます。シモヘイヘが今回も従軍していれば、継続戦争も異なった結果に終わったのかもしれません。
シモヘイヘの逸話や伝説について
数々のコピペが生まれる
そのチートっぷりの活躍により、シモヘイヘには数々のコピペが生まれました。その中の一部を抜粋すると以下のものが挙げられます。
・わずか32人のフィンランド兵なら大丈夫だろうと4000人のソ連軍を突撃させたら撃退された。
・シモヘイヘがいるという林の中に足を踏み入れた1時間後に小隊が全滅した。
・攻撃させたのにやけに静かだと探索してみたら赤軍兵の遺体が散らばっていた。
・気をつけろと叫んだ兵士が、次の瞬間こめかみに命中して倒れていた。
コピペの中には、誇張しすぎた内容も紛れているかもしれません。ただ確実に事実も含まれます。80年以上が経過しても、今なお伝説的な活躍は語り継がれています。
本名はシモ・ハユハ?
日本に住む私たちは、シモヘイヘという名前で定着していますが、フィンランド現地ではシモ・ハユハという表記が一般的です。また白い死神という名称は、ソ連の兵士たちかシモヘイヘを恐れて述べたもの。
またフィンランドでは「銃殺王」という名前で親しまれています。銃殺王はフィンランドでは「シムナ(Simuna)」であるため、シモヘイヘをシムナと呼ぶことも多いとのこと。シモヘイヘにとっては、ソ連由来のあだ名ではなく、フィンランド由来のあだ名の方が嬉しいかもしれませんね。
シモヘイヘの性格
寡黙な性格だった
シモヘイヘは寡黙な性格だったことが伝わっています。会話は非常に少なく、戦地に上官が現れても、「シモです」もしくは「ヘイヘ兵長です」としか答えませんでした。
写真を撮る時もできる限り目立たないよう、後方か人影に隠れるように写っています。博物館にはシモヘイヘが3人と写っている写真がありますが、「自分の姿は切ってしまっても構わない」という直筆のサインが残されています。自らの功績をひけらかすことはなく、あくまでも寡黙な態度であり続ける。寡黙な性格もまた、シモヘイヘの魅力といえるでしょう。
シモヘイヘの名言
・「練習だ」
天才的な射撃技術をどのようにして養ったのかを聞かれた時に、シモヘイヘが答えた言葉です。シモヘイヘは予備役兵として冬戦争に駆り出される前は、猟師として生計を立てていました。休憩中に他の男性陣が休憩をする中で、シモヘイヘだけは建物の窓から空砲で狙撃練習を繰り返し行っていました。シモヘイヘの射撃技術は、日々の努力により生み出されたものだったのです。
・「他の人も同じように義務を果たした。それがなければ今のフィンランドはなかった」
多数のソ連の兵士を射殺した理由を聞かれた時に、シモヘイヘが答えた言葉です。冬戦争でシモヘイヘは大きな功績を残しましたが、それはフィンランドを守るという愛国心によるもの。自分の功績をひけらかすことはなく、共に戦争を戦ったフィンランド軍の同志たちの功績を讃える。シモヘイヘの高潔な人格がわかる名言です。
シモヘイヘの子孫
シモヘイヘは生涯独身だった為、子孫はいません。シモヘイヘの家族構成はわからない点が多く、両親が何をしていたのか、兄弟がいたのかも不明です。前述した通り、遺族に遺書を遺しているので、兄弟の子孫がいたものとは思われます。
ちなみにシモヘイヘは、女性との浮ついた話が全くありませんでした。戦争の最中、シモヘイヘが女性の写真を見ていた時、仲間が「その女性を嫁に貰ったらどうか」とからかったことがあります。シモヘイヘは「嫁ならもういるよ、二人ももらってどうするんだ?」と自らの銃を仲間に見せたという逸話が残されています。女性より銃を愛するシモヘイヘなので、家庭を持つという考えはなかったのかもしれません。
シモヘイヘのゆかりの地
コッラーとシモ・ヘイヘ博物館
コッラーとシモ・ヘイヘ博物館は、冬戦争の主要な戦いであるコッラー川の戦いと、シモヘイヘに関する資料をまとめた博物館です。この場所は、予備兵舎エリアの病院として使われていました。建物は2階建てで、1階はシモヘイヘ、2階はコッラーの戦いに参戦した兵士たちの写真、文献、小物、戦闘部隊のリストが展示されています。
場所が場所なので、気軽に行ける場所ではありません。ただ、開館期間は主に夏季である事、それ以外の時期に訪れたい時は予約が必要な事は覚えていてください。
住所:Kuntalanraitti 32, 56710 MiettiläRautjärvi ,Suomi
ルオコラハティ
ルオコラハティはシモヘイヘが晩年を過ごした場所です。人口は2021年時点でわずか4916人。フィンランドでは173位の自治体です。ところが夏になると人口は倍増します。この地はフィンランドの避暑地として有名で、夏場に多くの人たちが訪れる為です。
町の西にはフィンランド最大の湖・サイマー湖もあり、自然豊かな場所であり、シモヘイヘがこの地を最期の場所にした理由がわかります。この地がシモヘイヘが晩年を過ごした場所であることは、フィンランドでは割と有名です。きっとシモヘイヘを弔うためにこの地を訪れる人もいるでしょう。
シモヘイヘの関連人物
スロ・オンニ・コルッカ
スロ・オンニ・コルッカは冬戦争において、シモヘイヘと双璧を成した狙撃手です。彼が冬戦争において殺害したソ連兵は4090名以上とされ、この人数はシモヘイヘに並びます。スロ・オンニ・コルッカはシモヘイヘの1歳上で、過去にケワタガモ猟を営んでいました。ただ、シモヘイヘと異なり、冬戦争勃発時にはフィンランド陸軍に所属していたようです。
スロ・オンニ・コルッカもまた、550m離れた位置からソ連兵を射殺するなど、シモヘイヘ同様の人間離れした逸話が残されています。彼の戦績は冬戦争当初から噂になっており、シモヘイヘはスロ・オンニ・コルッカにならい、殺害した人数を覚えるようにしました。
冬戦争ではシモヘイヘ以外にも、スロ・オンニ・コルッカを筆頭とした兵士たちが自国を守るため、命をかけて戦いました。
船坂弘
船坂弘は大日本帝国陸軍で軍曹を務めた人物です。全てが事実なのかは不明ですが、彼はシモヘイヘと並びチート級の人物として知られています。
船坂宏は、アンガウル島戦で200人強ものアメリカ兵を殺傷。腹部銃創貫通、傷口にウジがわいた時には火薬を患部に流し込んで処理します。陣地に乗り込み自決を図り、アメリカ兵から頸部に銃弾を受けて昏倒したにもかかわらず、3日後には回復して脱走の末に兵器保管庫を爆破しています。彼の不屈の精神は、アメリカ兵も驚愕するほどでした。
シモヘイヘや船坂宏。彼らが満身創痍に戦いに挑んだのは、それぞれの国を守るため。彼らのように名前は残らずとも、「名もなき英雄」はどこにでもいるのかもしれません。
シモヘイヘがモデルの映画や関連作品について
その特異なキャラクター性もあり、シモヘイヘをモデルにした作品は数多く存在します。最後に、シモヘイヘにまつわる関連作品を解説しますね。
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シモヘイヘについてのまとめ
今回はシモヘイヘの生涯について解説しました。シモヘイヘはわずか100日ほどの間に、少なくとも542名ものソ連兵の殺害に成功します。彼のおかげでフィンランドはソ連の脅威に対抗することができました。
シモヘイヘが一連の成果を挙げることができたのは、狙撃の技術だけではありません。ソ連から自国を守りたいという愛国心の影響もありました。今回の記事を通じ、シモヘイヘの実像や、当時のフィンランドの状況について興味を持っていただけたら幸いです。
参考文献
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/シモ・ヘイヘ